アーキスタジオの家づくり

上品でしっとりと落ち着いた風情の和モダンスタイル

自然を感じられる中庭のある家。

室内〜屋外が一体となった空間は、住まいにゆとりと安らぎを与えてくれます。

四季折々の庭木や、刻々と変化する光と陰、ちょっとした四季の移ろいを感じられるような家を造りたいものです。

住まいは人が暮らすための器であり生活の背景でもあります。人が暮らすための器が、これみよがしのデザインに溢れていてはすぐに飽きてしまうし、愉しい生活が演出できないんじゃないか、とも思います。

建築が完成した時点では、控え目の「腹七分目」の空間デザインでありたいものです。そこに人やら家具調度品が入ってきて丁度「腹十分目」、それで住まう人の個性が演出できるような住まいづくりを心がけています。

年代を経れば家族関係や生活スタイルも変化していき、ファッションや家具調度品などの嗜好も変わってくるものです。ご家族それぞれが何時の年代になっても、日々の生活を愉しく演出してくれる「人が暮らすための器=住まい」を創りたいものです。

目先の利便性にとらわれすぎずに各部屋が機能的につながっていく生活し易い空間構成。デザイン的に作り込みすぎず余白を残した程度のシンプルな空間デザイン。

私達はそんな住まいを創りたいと思っています。

家づくりについて思うこと・・・

「家」は施主の夢だけで出来上がるのは物足りない、建築家の夢だけで出来上がってしまうのもよくありません。そのあたりの程よいバランス関係が必要です。

多くの施主の場合、 新築しようとする「家」の断片的なイメージとしてハウスメーカーや住宅機器メーカーの情報ばかりが先行しがちです。

私の場合まず施主と対話します。何度も対話させて頂くことによって施主の根底にある美意識や 生活意識、社会意識といったものを探ります。そしてそれらをカタチとして構築し、施主の個性や敷地の特性を反映させた「空間」へと発展させます。施主の個性や生活観を設計に反映させた方が、個性的で豊かな「家」が出来上がります。建築家の設計する「家」だからといって建築家のイメージを押し通す訳にはいきません。

例えば、外を気持ちの良い風が通っているのに部屋は風通しが悪い、午後の日射しや眺めがあるのにそこに窓がない、という様な日常的な事を犠牲にした「家」は認められません。

庭も含め、「家」とは365日つき合わなければなりません。それを前提とした上でできる限りシンプルな構成の中で、季節的な変化や一日の中の時間的な変化といった、自然の多様性を反映させたいものです。

郊外ののどかな自然、都会の限られた自然の中、何れの場合も建築自身が決して華美でなくシンプルであるが故に、内部空間からも外部空間からも遮る事なく自然を感じられる「家」を造りたいものです。

自然を感じられる家づくり・・・

設計事務所として独立して以来ず〜っと興味あるテーマは「室内〜屋外が一体となった空間」づくり。このテーマを意識して、建築自身がプレーンであるが故に、内部空間からも外部空間からも遮る事なく、自然を感じられるような建築を造りたいと思っています。

建築の内部空間〜外部空間をとりもつ重要な要素として「植栽」があります。

私達は、いつも設計の初期段階から一貫して、建築のプランニングと一体で植栽・造園計画をイメージしています。

その敷地のもつ特徴(高低差とか、敷地から望む風景とか空とか?・・・)を活かしながら建築を配置して、敷地全体を機能設計・デザインコントロールしていきます。

建築が直線的なミニマルデザインであるから、植栽計画がより重要になってきます。柔らかな植栽の樹形が、シャープな建築の形態をより一層引き立てます。

不思議なもので、どんなに狭い中庭のポケット空間でも、頃合いの良い植栽の配置でその空間に拡がりを感ずるようになるものです。

私の場合、最初の作品「218HOUSE」以来、いわゆるコートハウスのスタイルが多いようです。

中庭まで含め、室内〜屋外が一体となった空間をつくる。そのことによって外部の自然環境を室内にとりこみ、四季折々の庭木や、刻々と変化する光と陰、そんなありふれた自然の景色を建築空間のフレーミングにおさめたい。

忙しげな日々の生活の最中でも、ちょっとした四季の移ろいを感じられるような「家」を造りたいものです。

真っ白い建築・・・

よく、聞かれることで「何故、真っ白系の建築ですか?」というお話・・・。

ミニマル路線の建築「真っ白+ガラス+スチール」系の設計やっていて、思うこと。

それは、建築のプロポーションや空間構成が素っ裸で表現される = 建築のプロポーションや空間構成のゴマカシが効かない。

建築素材の質感に頼らない分、余計に「建築空間の美しさ」そのものが勝負どころとなる訳です。設計させて頂く側としては大変面白いです。

だからこそ、「建築の空間」を構成するパーツ(床に壁とか天井、建具とか….)や細部の納まりやミリ単位の寸法まで、、、細部の一つ一つが徹底して洗練されていることが必用条件、と実感します。

「建築デザイン」について思うこと

建築デザインにしろプロダクツデザインにしろ、良いデザインって一体どういうことなんだろう?・・・

それぞれの機能、例えば愉しく生活すること、電話すること、自転車に乗ることなどなど・・・それらの基本的な機能がストレートにデザイン〜カタチに反映されていること。虚飾的な機能など必要のないシンプルな操作性であること。そういった部分を大切にしたデザインが、使い易くって良いデザインであると、私は思っています。

日頃から心掛けていることは「デザインするために設計(デザイン)しているんじゃあない」・・・

訳のわからないこと言っているようですが・・・「必然性のないデザイン」「わざとらしいデザイン」「目立とう、奇を衒ったデザイン」はしたくないと思っています。建築空間の構成に寄与しない装飾的なデザインには抵抗感があります。

だからクライアントさんから「あそこのお店にように、なんかこ~うアールを使ってデザインしてみてょ・・・」って言われると困惑してしまいます。

「一見目先の変わったものやカタチ」をつくれば良いってモン じゃあ、ありません。その場所、その空間に必然性もなく、目立とう・驚かそうとしているデザインは幼稚に思えるし、何よりも日々の生活の中ですぐに飽きてしまう、と思います。

「構造美・機能美・建築空間そのものの美しさ」を設計(デザイン)したい、と思っています。

建築デザインには「機能(=使い易さ)・強さ(=構造耐力)・美(=デザイン)」が求められます。それら三要素が十二分に満たされて、初めて「良い建築」と呼ばれます。デザインセンス以外にも、常日頃から時代に即した建築技術の研磨が必要です。建築デザインが純粋芸術とは大きく異なる由縁です。

建築は特定の場所=敷地があって初めて成立します。敷地=その特定の場所に立ってみて「この場所だからこそこういうカタチだ」というものをひたすら考えます。デザインの根幹をなす建築構造についても「木造だから、RC造だから・・・屋根はこうものなんだ、間取りはこういうものなんだ」という発想はしたくない・・・その敷地だからこそ、こういう空間構成を実現したいからこそ、この構造システムなんだ、という発想をしたいと常々思っています。

何を根拠にして住宅デザインを考えるのか?・・・・ひたすら「生活し易さ=愉しい生活をデザインすること=生活するための器」を考えるようにしています。

『剛くて優しい、使いやすくって気持ちのよい建築がつくりたい』

・・・・と、常々思っています。