先日、Appleのスティーブ・ジョブズ氏が亡くなって・・・結構な大騒ぎだった。

参考:日経新聞Web『“デザイナー・ジョブズ”の魂に触れた日本人 アップル 「シンク・ディファレント」の傍らで』

ワタシャ、根っからのMac信者。事務所のマシンもMac一色、事務所にWinマシンは絶対買わない(Win環境が必要なときは、Mac上のVirtual PCでまかなう)。巷に溢れるWinマシンで「デザイン良し」とする製品はこの世にない、と思っている。Macの場合いちいちやることが小洒落ている。新しいMac製品買う度に、パッケージからしてワクワクさせてくれるデザイン、機器の一つ一つのボタンや電源ジャックにしてもすべからくちゃんとデザインされている。「なぁ〜んだ、わかりにくいボタンだけど、まぁカッコイイからいいかぁ!」なんていちいち感心する。OSのオペレーションだって、新バージョンがでる度にワクワク感動がある「おぉ〜こんな風に(アイコンが)飛び出るんだぁ!」とか・・・。悪いが・・あの鬱陶しくて煩わしいアラートばかり頻発してくれるWindowsとは対照的。ワタシャ未だにWinマシン触る度にイライラが募ってしまいます。

過去Blogから・・・Mac関連のエントリーを再掲載。

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【2003.04.26・・・No.23 からあげ・・・】

1997年の秋、のフランスワールドカップのアジア予選やっている頃だった、仕事ネタも底をつき、困り果てていた。どうせやることないんだったら、一丁パソコン覚えてみるかぁ、気の短い性格でマスターできるか不安一杯・・・と思いつつコンピューターの権威、昔の山登り相棒のNao君に「おい、一切合切で30万円でパソコン揃えてぇ、教えてぇ・・・」って頼んだ。ついでに、事務所内のパソコンや周辺機器のネットワークセッティングやらまで諸々面倒みてもらった。

さすが師匠、その師匠が手配してくれた最初のマシンが「Mac Quadra950」の中古品(思いっきり改造チューンアップしてある)だった。

このPower Mac仕様に改造してあるQuadraの「ジャ~ん」という起動音がなかなか荘厳な響き、姿カタチもゴッチリしていて「戦艦」を思い浮かばせてくれる、今の時代のMacG4なんかとはちょっと違う。

ついでに「Sad Mac」っていう知る人ゾ知るサウンド = Sad Macの音色をご存知の方、聞いたことのあるアナタ、二度と聞きたくないお気持ち、私にもよ~くわかります。

 私のQuadraもSadMacを奏でてくれました。Sad Mac 聞いたとき = それは愛おしいMacが破滅したときなのです。SadMac 聞い日には何度再起動かけてもダメ、CD起動もできず(CPU周辺のトラブルの為)、ひたすら泣きわめく運命なのです。

あと、新年お正月明け、最初にMac起動すれば、起動ウィンドウに「Happy New Year!」なんていうメッセージが表示されるようになっていたり・・・Macのそんな茶目っ気がなんとも愉しくて大好きでした。

そんなこんなで、最初の愛機であるQuadra950、今では現役リタイヤしているが、捨てきれず自分のデスクの下に大切に保管、「思いでの逸品」になっています。

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AXIS誌の最新号に、Appleのインダストリアルデザイン部門の偉いさんのインタビューが載っていた・・・。(以下、その記事からの転載)

・・・われわれは常に、コンテンツを提供するためのプラットフォームをデザインするという姿勢です。コンテンツを邪魔しないように、例えばディスプレイならそれを干渉するものがないようにデザインする。ともかくシンプルにすることが最も難しいのです。かたちの上だけのシンプルさではなく、製品として、アーキテクチャー全体としてシンプルにする。まるでデザインされていなかったように、複雑な問題などなかったように、静かにアノニマスな方法で解決するのです。


う〜ん、まさしく自分が日頃設計させていただいている建築に、そっくりあてはめたいコトバである。

人が生活したり活動したりするとき、その人の行為を視覚的にも機能的にも邪魔しない「建築」でありたい。「建築」としてシンプルで明快でありたい。そのような表現が、より機能的な建築につながると思う。シンプルな建築表現というのは難しい。現場で「狂い」のない施工など不可能かもしれない。それでも、個々の素材がぶつかりあう複雑な収まり、あるいは構造の問題などまるでなかったかのように、静かに佇む「建築」でありたい


そんな、「建築」を私も創りたいと思う。

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